冷蔵庫の主となりつつある、自家製金柑の甘露煮(コンポート)。これを消費すべく、パウンドケーキを焼いた。金柑と紅茶、実はちょっとしたつながりがあるのだ。
金柑はメジャーな果物?
生まれも育ちも現住所も横浜の私が思うに、この辺りで金柑はあまりメジャーな果物ではない。そのあたり客観的に示せる資料があれば…と思い都道府県別の消費量統計がないか調べてみたけれど見つからなかった。代わりに生産量別データを総務省サイトから借用し視覚化したのが下のグラフ。
生産地=消費地とは一概には言えないけれど、九州では(横浜よりは)一般的な果物なのかもしれない。私に「金柑おやつによく食べた」と教えてくれた人は福岡の出身だったっけ。そして鹿児島県のお節料理には金柑の甘露煮が入っているらしいということを、南薩日乗さんのブログ で知った。栗きんとんの代わり、ということなのだろうか。
そしてこの金柑、実は紅茶と因縁が深い果物の一つである。
そして、とくにある発見が彼に不朽の名声をもたらすことになる。キンカンだ。キンカン属はFortunellaと命名され、彼の名前がつけられた。 引用元:サラ・ローズ「紅茶スパイ - 英国人プラントハンター中国をゆく」(原書房)
19世紀、斜陽の東インド会社が再起を賭けて挑んだのは、植民地インドにおける紅茶の栽培だった。当時の英国では紅茶が爆発的人気となっていたものの、その全ては中国からの輸入に頼っていた。何とか自国領土内で紅茶を作りたい。それは英国の悲願だったが、紅茶(ボヒー茶)の製法は、200年もの長きにわたって中国の国家秘密となっていた。これを盗み出すべく中国に派遣されたのが、スコットランドの園芸家ロバート・フォーチュン。彼は大本命のお茶の他にも、様々な未知の植物をヨーロッパに持ち込んだ。その一つが金柑なのである。
手元にある植物ラテン語事典を引いてみる。確かに記載があった。
【fortunei】for-TOO-nee-eye スコットランドの植物ハンターで園芸家ロバート・フォーチュン(1812-80)への献名。 引用元:ロレイン・ハリソン「ビジュアル版 植物ラテン語事典」(原書房)
中国から見れば「盗人猛々しい」というところ…。環境問題における先進国と途上国の対立構造を思い起こさずにいられない。
人力で作る、金柑のパウンドケーキ
今回もシュガーバッター法で生地作り。しかし人力(ハンドミキサーを使わない)なので、バターに合わせる前に予め卵は共立てしておく。カトルカールなので、バター、お砂糖、薄力粉、卵(殻込み)の重量はすべて同じ。これに自家製金柑甘露煮を刻んだものを、他材料重量の7割程度程度加える。焼き上がった熱いところに、甘露煮のシロップとコアントローを混ぜたものを塗る(小嶋ルミさん風に言うならば、シロップを「打つ」)。焼き上がり当日よりも、一晩おいた方が生地が落ち着きおいしく食べられるように思う。
金柑のパウンドケーキに合う紅茶
基本、どんな紅茶にもよく合う。おすすめはストロングミルクティ。金柑の原産地に敬意を表して、煙たい香りのエキゾチックビューティ・キームンを合わせるのも素敵。紅茶に金柑甘露煮のシロップをひとたらししてみても。
ロバート・フォーチュン、金柑の学名にその名を残す男の話
- プロローグ
- 第1章 一八四五年 中国の閩江
- 第2章 一八四八年一月十二日 イギリス東インド会社本社
- 第3章 一八四八年五月七日 ロンドン、チェルシー薬草園
- 第4章 一八四八年九月 上海から杭州へ
- 第5章 一八四八年十月 杭州寄りの浙江省
- 第6章 一八四八年十月 長江の緑茶工場
- 第7章 一八四八年十一月 安徽省にあるワンの実家
- 第8章 一八四九年一月 上海
- 第9章 一八四九年三月 カルカッタ植物園
- 第10章 一八四九年六月 インド北西州サハランプル植物園
- 第11章 一八四九年五月~六月 寧波から武夷山脈へ―――大いなる茶の道
- 第12章 一八四九年七月 武夷山脈
- 第13章 一八四九年九月 福建省浦城
- 第14章 一八四九年秋 上海
- 第15章 一八五一年二月 上海
- 第16章 一八五一年五月 ヒマラヤ山麓
- 第17章 一八五二年 ロンドン、王立造兵廠
- 第18章 ヴィクトリア時代の人々にとっての紅茶
- 第19章 フォーチュン余話
- 謝辞
- 参考文献
- 訳者あとがき
植物のラテン語名を確認するとき私が最初に当たる本
簡単な辞書なのだけれど、ビジュアルが豊富で眺めているだけでも楽しい。
目次:
- はじめに
- 本書の使い方
- 植物学のラテン語小史
- 植物額のラテン語入門
- A - Zリストの手引き
- 植物学のラテン語 A-Zリスト
- 植物紹介
- プラントハンター
- 植物のあれこれ
- 用語集
- 参考文献
- 図版出典